|
|
||||||
| 吉田石堂(晩年は不老園碩堂と改名し、米国では Floen.Y. Sekid として活動) 日本画家 本名・吉田東吉 1894年(明治27年)12月 東京都神田生まれ 日本画家を志し,河合玉堂に師事するが,後に竹内栖鳳に惹かれ師事、このことが 河合玉堂の逆鱗に触れ破門同然に追い込まれ、日本の画壇での活躍を断念し 長男・元徳(昭和57年没)出生の翌年渡米を決意。 1921年(大正10年)2月渡米 シアトルを振り出しにバンクーバー〜サンフランシスコニューヨークと 居を変えながら創作活動を続ける。 1929年(昭和4年)3月 一時帰国 次男・東吾(平成年没)出生の翌年再び渡米を決意。 1931年(昭和6年)11月 第二回目の渡米 ニューヨーク〜トロント〜シカゴ〜サンフランシスコ〜ロス・アンジェルスと 居を変えながら創作活動を続けるが、世界情勢の悪化により帰国を決意。 1941年(昭和16年)8月帰国 第二次世界大戦後は、創作活動の傍ら六本木にあった アメリカ駐留軍のキャンプ(現在の防衛庁)に通訳兼絵の教師として勤務する。 このとき知り合った米国人から、吉田石堂記念館を米国に建設しようと持ちかけられ 所有していたすべての作品をアメリカに送り三度目の渡米を決意。 1951年(昭和27年)7月 第三回目の渡米 サンフランシスコに着いてみると送ったすべての絵はすでに売却されており 日本で知り合った米国人も行方をくらましていた。 失意を抱えながらも、ボストンを経てニューヨークと居を変えながら創作活動を続ける。 ゴールデンゲート橋を描いた作品(所在不明)がニューヨークタイムズ紙に掲載される など米国内の評価は高かったと思われる。 1966年(昭和40年)11月9日 ニューヨーク大停電の日、マンハッタン109番街のアパートで死亡。享年72歳 |
||||||
|
|
||||||
このページに関する御意見・お問い合わせは(株)メディオ 斉藤資仁まで Copyright 1997 Medio Inc. |
||||||